和歌劇作品紹介
[第一部]
今から約1300年前、倭国の西の方 明日香の宮に居た倭国の大王は、古い伝統を持っていることを誇りとしていて、宮中の儀式で、大王の先祖が南の海のシャチだったとういう物語を、都で一番の歌い手 額田姫に演じさせた。
百済の国は、古くから倭国の友邦であり鉄を提供していたが、隣国新羅と当時の超大国 唐の国から攻められて、窮地に立たされていた。百済は倭国から軍事的な援助を得ようと、王子 豊璋を交渉役(人質)として送り込んだ。
ヤマトの国を治める領主 蘇我君が、その明日香の宮の儀式に参列していた。百済の国からの渡来人である蘇我君は、百済から導入した技術を使って、ヤマトの国を豊かな国に育て上げていた。
ところが、ヤマトの国の隣国 摂津の国を治める領主 中大兄君は、蘇我の君と領地を巡って争っていたが、高句麗から鉄の技術を取り入れ、優れた武器を手に入れた。そして中大兄君は、その儀式の席で蘇我君を暗殺した。
新羅の国は百済と争っていたが、その新羅の王子 金春秋は丁度その儀式の場にやって来て、新羅の宗主国 唐の軍事力を誇示し、倭国の大王に対して、唐と新羅の側に付くように提言した。しかし倭国の大王は新羅のやり方に反発し、逆に百済を助けるための軍勢(防人)を百済に派遣することを決め、両国の絆を強めるため、額田姫を百済の王子 豊璋の后として百済に同行させた。
[第二部]
倭国の東の方 吾妻の国には、祭りの夜に、歌垣という男と女が互いに掛け合いの歌を歌う行事があり、そこで知り合った若者と乙女は結ばれた。ところが、倭国の大王が百済を助ける軍勢(防人)を派遣することを決め、また吾妻の国は鉄の資源を百済に頼っていたため、結婚したばかりのその若者も、防人として戦争に駆り出されることになった。若者は、父や母、そして最愛の妻に歌で別れの挨拶をした後、朝鮮半島の戦地へ旅立って行った。
しかし、倭国の軍勢は、白村江における戦いで唐の水軍に敗れ、百済の国王 豊璋は行方不明となり、額田姫は倭国に逃れて来た。その事態を収拾するため、中大兄君は、唐と新羅と和睦し、鉄を自前で生産していくという方針を打ち出した。
そして、倭国に代わる新たな政治的枠組み・日本国を造り、近江の大津の宮を都に定めたが、新たな国造りの途中で中大兄君は病に倒れた。その後継者争いに勝利した大海人皇子は、額田姫と共に中大兄君の方針を受け継ぎ、新しい国・日本の国を発展させていった。