セミナーレポート
昭和初期国産ピアノの秘密
この時代のピアノを通して現代のピアノを語ることができると思います。日本の職人技が随所に発揮されているピアノで、外国との交流があった時代、その秘密に迫ります。
■昭和を語るにはまず黒船から
日本における西洋音楽の歴史はまだ100数十年です。そして音楽と同時に楽器も入ってきました。鎖国が解けようとした時代にヨーロッパでは名だたるメーカー(スタインウェイ、ベヒシュタインなど)が創業しています。日本へは完成されたものとして音楽、楽器が入ってきたのです。西洋文化を取り入れ文明国の仲間入りを果たすために急ピッチで。
■ライバル
山葉より先にオルガン作りをはじめていた人として西川虎吉がいます。日本で始めてのオルガンです。しかし、ピアノも作りますが、最終ヤマハに吸収合併され忘れ去られていくのです。
■N.G.S.K.K.の意味は?
日本のピアノの先駆者、山葉寅楠は技術者というよりも経営者と言ったほうがよいかもしれません。昭和のはじめまでいろんな小さいメーカーが生まれましたが、結局は経営的に行き詰まり破綻、吸収合併してしまいます。その点山葉は会社を早々と株式化し日本楽器製造株式会社として経営を拡大していきます。
■ピアノはアメリカ?
大正の終わりごろまで日本で見本となったピアノはアメリカのピアノでした。当時山葉寅楠はアメリカに視察に行き、楽器としてのピアノというより製造工程の勉強に行きました。
■ベヒシュタインとヤマハ、ここから音楽としてのピアノが生まれる
国産ピアノの質はいまだに上がらない状態で、本物はやはり舶来品と言われていました。音楽を奏でる楽器として改めてレベルアップを図るため2代目社長の天野はアメリカとライバルだったドイツへ、一番弟子の河合小市(河合楽器の創業者)、大橋盤岩らを視察に向かわせベヒシュタインと提携しました。
■ベヒシュタイン技術者、シュレーゲルの来日
大正15年~昭和4年の4年間、日本楽器での指導にあたりました。演奏される音楽に対しての理解と、ピアニストと製作者の協力関係を力説したと言われています。そこから日本のピアノが変わりました。
■日本に一番欠けていたもの
今回このピアノと出会い、改めてこの時代のことを調べ知ったことの一つに、楽器は技術者だけで作るものではない、演奏者と音楽と一緒に作るものということを思い知らされました。いったんこのように教えられ作られていったものが、現在また違った形になったようにも思います。良いものを作れば売れるというものではないことも理解して、現代の企業は戦っているのだと思います。
■不思議な出会い
うたまくら茶論にあるベヒシュタインが作られた時代、すなわち創業者であるカール・ベヒシュタインから教わったであろう技術者のシュレーゲルが、日本に来て今うたまくらで新生中のヤマハを日本で作る指導をしていました。この2台のピアノがうたまくらにあるという偶然か、必然かわかりませんが縁を感じます。このように意味のある取り組みをこれからも続けて生きたいと思います。
普段はあまり知る事がない、日本におけるピアノの開発の歴史が知れて面白かったです。開国以来、西洋に負けず劣らずを目指してきた日本の近代化の様子が、ピアノを造るという場にも感じられました。。(T.S)
日本のピアノ作りがオルガンから繋がっているという話がおもしろかっです。黒船、アメリカからの文化の影響力は大きいと思いました。(K.I)
日本のピアノの歴史は演奏者や作曲者と製作者によるピアノ造りの歴史からではないので、本場のものが勝るのは仕方がないと思います。でも、これから日本のピアノにもそういう時代が来ると良いなと思います。(C.S)
今回用いられたピアノの修理が完成したら音を聴きたいです。今まで好みのヤマハのピアノに出会ったことはないけれど、このポイントとなった時代のピアノの造りや細部のこだわりをみると、どんな音が鳴るのか楽しみです。日本のピアノは明治から造られていた事にびっくりしました。(N.N)