歌枕直美 友の会
新年号は井真成市民研究会の原直樹さんと葛井寺の森快隆ご住職にご登場頂き、1300年まえからの歴史、そしてこれからの未来についてお話を伺いました。
■遣唐使・井真成
歌枕直美(以下歌枕) 「井真成」市民歓迎祭では大変お世話になりました。半年ほど前よりのご縁ですが不思議に思っています。
原直樹(以下原) 和歌劇「遣唐使の物語」を上演されている人がいるという新聞記事を見た瞬間、井真成のお導きだと思い、新聞社へすぐに問い合わせをし、歌枕さんの茶論へお伺いしました。
歌枕 ありがとうございます。昨年10月11日に井真成の墓誌が発見された記事を私も見ていましたが、その後の動きが原さんと私とでは大違いでした。(笑)
原 墓誌の最後の文を見て一晩考えました。そして「何とかしないといけない!」と思い、授業で取り上げ、そして西北大学へ日本語で手紙を書きました。魂を受け入れたいとつたない文章ですが、気持ちを伝えたかったのです。
歌枕 そこから葛井寺のご住職とはどうつながるのでしょうか?
森快隆住職(以下住職) 魂が帰って来たら受け入れ収めるところが必要だと、原さんが突然来たんです。そして一気に、市民研究会を立ち上げました。
原 皆さんにも知っていただきたいので境内に木の碑を立てました。井真成生誕の地と、ご住職が書いてくれたんです。目印です。
歌枕 墓誌はどういう流れで帰ってくることになったのですか?
原 手紙を中国の友人に託し西北大学の博物館へ送ったんです。そして日本でも知っていただくために新聞社にもたくさん手紙を書きました。そこで日中友好協会に相談をしましたら、親切に対応してくだり、王毅駐日大使が翌々日に大阪にくるということがわかったんです。
歌枕 翌々日!?タイミングが決まりすぎですね。
原 そうなんです、びっくりしましたよ。こちらとしてはとにかく井真成の魂を受け入れたいという気持ちを伝えたかった!それでなんとか潜り込もうと(笑)。
歌枕 それはすごい。(笑)井真成さんが原さんを呼んでいたのですね。
原 はい。手に入れた墓誌の写真に「井真成 形既埋於異土魂庶帰於故郷」と書いて瞬間的にでも見てもらえたらと。相手にされないと思っていたんですが、大使はそれを見て「応援するから頑張れ、中日友好に良い」と話してくれました。
住職 そのころちょうど日中友好関係が悪くなっていたところだから、いい話が出てきて良かったんです。
歌枕 ご住職も中国へ行かれたのですか?不安はなかったのでしょうか?
住職 中国大使が応援してくれていたから、心強かった!しかし西北大学側が会ってくれるか、墓誌を見せてくれるのか心配でしたが、私たちを歓迎してくれました。そこで墓誌の前でお経を読み、つれて帰ると約束したんです。自分とこの先祖様をお迎えにいくという感じがして、何か体の中がすう~っとしましたね。
原 日中関係が悪いから危ないと言われていたが、実際には正反対で大歓迎でしたね。
歌枕 中国の方は原さんやご住職の気持ちで動いたんですね。大きなことを動かすのも、まず1人の力からですね。そして、その後今日を迎えるまでの努力と行動力に、感動します。
住職 その間半年くらいですかね。あっという間でした。
原 今年の4月末に中国に行ったときには30分くらいですが、武大偉外務次官が会ってくれました。中国がいかにこのことを大事にしていたかということですよね。
■近つ飛鳥(ちかつあすか)
歌枕 藤井寺って名前はもちろん知っているのですが案外知らない方もいらっしゃると思いますが、すごく歴史の深いところですよね。
住職 日本でも最初に開かれた日本文化発祥の地です。住みよいから渡来人が初めに入ってきたんですね。新しい技術、仏教、交通と栄えたところです。そしてお寺そのものが政治力、生活、文化、芸術なんです。
原 1300年程前は日本で一番文化の発達した土地です。そして河内王朝があったと考えられ、世界にも類を見ないような巨大古墳は密集しています。お寺の密集度も日本一!今もなくなったような古代のお寺が多いんです。歩けば寺にあたるというくらい(笑)。
歌枕 この辺り南河内は、「近つ飛鳥」と呼ばれ歴史あるところですね。そして千手観音様も美しいですよね。9月に奉納演奏をさせていただいたときに、じっくりと拝ませていただきました。1300年前から残る観音様だとお伺いしました。真成さんは、この観音様を拝まれたのでしょうか。
住職 ちょうど井真成が遣唐使として旅立つ頃、聖武天皇の勅命で創られているところだったのです。そして残ったのがすばらしいです。人々の信仰が集まり、高い文化をはぐくんだ土壌があったんですね。だから火災などがあっても、人々が救い出してきたのでしょう。
原 皆さんがご存知の奈良の東大寺も、葛井寺の千手観音を造った方々が造ったんですよ。大仏を造る指導も行なったそうです。
住職 奈良時代は藤井寺の方々が都を造ったり、大仏を造ったりするのに大きな役割を果たしていたという先進地域だったんです。藤井寺は文化の中心地であり、交易の中心地でもあったわけです。
■歴史の中に生きる
歌枕 原さんは、歴史の教師として何を一番大事に思っていらっしゃるのですか?
原 自分たちは歴史の中に生きている一員であり、歴史を作っていっているんです。歴史は自分の中に流れていて、自分を支える時間だと思えば、歴史は面白く感じる。お父さんの生きた時代、おじいさんの生きた時代もみな歴史ですね。
歌枕 現代は知識だけというのが多いですよね、なかなかそういう風には教えてもらえないですね。だから社会に出たときに、役立たないですね。受け継いでいく、大切なことですね。
住職 はい。葛井寺も何人もの住職が守ってきているから今があるわけです。
原 自分の心のよりどころがあり、安心する。やらないといけないことは何かがわかる。
歌枕 そうですね。全部に共通していることですね。私もこの活動が、日本人の知恵、歴史、誇りを、次世代の方々に伝えていけるきっかけとなればと思っています。
本日はありがとうございました。
森 快隆 (もり かいりゅう) | 1941年奈良生まれ。 1975年~西国五番札所 紫雲山「葛井寺」住職 井真成市民研究会 顧問 |
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原 直樹 (はら なおき) | 1949年福岡県生まれ。 1975年大阪教育大学大学院修士課程を修了後、ドイツハイデルベルグ大学へ1年間留学。 現在、藤井寺工科高校教員 井真成市民研究会 会長 |