歌枕直美 友の会
安政から続く「砂糖傳」に生まれ育ち現在に至までのならまちの変動をずっと見てこられた増尾正子さんに、ご自身の人生についてお話をお伺いしました。
■元興寺
歌枕直美(以下歌枕) 出会いは商工会議所の女性会でした。今春元興寺で和歌劇を 行う時、増尾さんからご連絡頂けて驚きました。
増尾正子(以下増尾) 主人が元興寺の総代をしており、何か協力できればと思い、お手紙を出しました。
歌枕 ありがとうございます。とても嬉しかったです。お陰様で無事終えることができました。
増尾 元興寺でのコンサートは素晴らしかったですね。本当に昔の元興寺は荒れ寺で 小さいころに「あんなとこ行ったら、子取りにとられる」と言われ近づきませんでしたよ。男の子らは探検に行く!と入るのですが、足を踏み抜きそうなくらいひどいものでした。
歌枕 そんな状況の元興寺を、先代のご住職やそれに協力する人達によって立て直されたのですね。
増尾 地域の方々の力が、ならまち全体の復興へとつながりました。
■旅の記録
歌枕 執筆活動を多くされていらっしゃいますが、もともとご専門ですか?
増尾 そうではなく、NHKで放送された未来への遺産を見たいと思って、ヨルダン方面の旅のプランをたてて貰ったところ、旅行社の方も行ったことがないので、帰ったら教えて欲しいと言われて、メモをとりながら旅をしました。それを見せたら、このままでは勿体無いということで、本になりました。
歌枕 結局何カ国ほど、旅されたのですか?
増尾 旅の本は7冊、国で言うと50数カ所にもなります。
歌枕 すごい数ですね。その中でも印象に残った国はどこですか?
増尾 やはり仏教発祥の地インドですね。8回行きました。日本では百観音です。いい先達がいらっしゃったからこそ行けたのだと思います。
歌枕 やはりすばらしい先輩方が一緒だといろいろ勉強になりますね。
増尾 そうですね。あと本の中には飛行機に何時間乗っているとか、乗り継ぎにどれくらいかかったと言うことも書いています。それはあとから読んだ方が、この時代はこれほどかかっていたとわかるようにです。
歌枕 時代を先読みし、あえて記録されたんですね。その文学的素養はどこから生まれたのですか?
増尾 小さいころから本が好きでした。小3の時にシェークスピアの坪内逍遙訳を読んでいて先生にびっくりされたこともありましたね。
■歴史を語り継ぐ
歌枕 ならまちも変わりましたか?
増尾 いい変わり方をしましたね。ならまち界隈に来て頂いたら気持ちよく帰って頂きたい。そしてまた1人でも多く足を運んでくださればいいと思っています。
歌枕 そうですね。来られた人がこの町並みに何かを感じ、また新たにつながればいいですね。
増尾 はい。12年前から今に至り、「奈良の昔話」に、奈良町界隈のことや私達が子供の頃の遊びなども、今の人たちに伝えたいなと思って書いています。
歌枕 素晴らしいですね!そうして語り継がれ歴史が残るんですね。
増尾 若い時は無我夢中でしたが、何十年かで消えてしまうことを書き残し、何か社会の役に立てることがあればと思っています。
歌枕 この奈良という土地で育った誇りはどう感じられますか?
増尾 古そうで遅れていると思われますが、人情があっていいんじゃないかと思います。近所の子供さんが遊んではって「活気が出てよろしいなあ」と声をかけあって、隣は何をする人じゃなく、お互いにそういうのがあるからいいと思いますね。
歌枕 ならまちのことを知っている人が少なくなっていく中、増尾さんは歴史の生き証人ですね。本日は、ありがとうございました。
増尾 正子 (ますお まさこ) | 1925年生まれ 世界遺産指定を受けている元興寺の元境内地の元興寺町で、安政元年から続く「砂糖傳」の4代目当主。御自身の祖父や祖母から伝え聞き、見聞きして覚えていることをなどタウン誌に執筆。 著作に「奈良の昔話」-「奈良町編」「奈良町を支えた里」「奈良町う回顧」。自身の旅を綴った、「旅」全7冊など。 |
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