歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.31 小城利重

聖徳太子、法隆寺など古い歴史として日本人が知る「斑鳩の里」。今回は、斑鳩町の小城利重町長に「歴史・文化」そしてこれからについてお話しをお伺いしました。

■サポーターの力
 
歌枕直美(以下歌枕) いつもコンサートの時には、お越し下さいましてありがとうございます。
 
小城町長(以下小城) 私は時間があったらその場に行かせて頂き、どのような方々が集まり、どのように感じているのかを見て、勉強させて頂いています。ビデオではダメです、生でないと(笑)。
 
歌枕 そうですね。ライブには、お客様との相互関係で、そこにしかない空気が生まれます。
 
小城 歌枕さんをはじめ、舞台を創る方々は、新しいものを生み出し、一生懸命工夫をしてひとつのステージを行っている。サポーターも同じ気持ちでいないと、文化は育っていかないと思います。
 
歌枕 大切なことですね。聴衆の方々とともに、作品も演奏者も育っていくと思います。小城町長さんは、はじめから文化を育てる考えをお持ちだったのでしょうか。
 
小城 そうですね。歴史文化の発信拠点として、いかるがホールを建設しましたが、文化を育てるにはお金や時間ががかかります。私は文化を育てている方をサポートしていきたいと思っています。
 
■斑鳩の里
 
歌枕 ところで、政治の道に進まれた理由は何でしょうか。
 
小城 人のお世話をするのが好きというのが、1番の理由です。政治の道に子供の時から興味がありました。
 
歌枕 子供の時からですか?
 
小城 はい。ですから最初からこの世界に入って学びました。はじめについた先生より、人脈を知る、敵を知る。敵の所へ行って、何を皆さんがおっしゃっているのかを、理解していくのが重要と教えられました。
 
歌枕 敵を知って、学ぶのですね。
 
小城 26歳から町会議員になり、36歳で町長の職についてから今まで、斑鳩は平和な町ですが、改革は絶えず行っていかないといけない。こういう仕事は好きでないとできません。愛着がなくなったらやめるときだと思っています。
 
歌枕 斑鳩というと、世界遺産、法隆寺が浮かびますが、古いものを守り、発展させていくのは大変なご苦労がおありだと思います。
 
小城 法隆寺は素晴らしいですが、それだけでは、世界遺産には登録されなかったと思います。皆が守ってきた斑鳩の里にあり、周辺の山並みがあるから登録されました。
 
歌枕 そうですね、その1つのものが素晴らしいのみでなく、周りの環境やそこに住む人の気持ちが大切ですね。
 
■点から線へ
 
小城 この斑鳩の歴史文化を、東京から全国へ発信していかないといけないと思っています。「昔、修学旅行で法隆寺に行きましたよ」と言う方も、なかなかリピーターにはなっていない。斑鳩だけでなく、明日香や吉野山など点を線で結んでいかないといけないと思います。
 
歌枕 お互いに協力をしていくということですか?
 
小城 はい。そのためには、交通事情が悪いので、そこのところを上手くしていかないと、足を運んではいただけません。
 
歌枕 やはり、1番の問題は交通ですか?
 
小城 なぜ京都から奈良へ人が来ないかというと、交通に時間がかかる。京都で新幹線を降りたら、8・9番線は奈良行き「世界遺産号」が走っているという様に、京都、宇治、奈良、法隆寺を繋いで欲しいとJRにお願いしています。
 
歌枕 そういうふうに、交通機関に提案されるお仕事も町長さんがなされるのですね。
 
小城 はい。そして法隆寺や法起寺、中宮寺などのお寺や周辺とのつながりをもって、文化を高めていきたいです。
 
歌枕 重要なお仕事ですね。私は、音楽を通して、日本の歴史、文化を広めていけるように地道に活動していきたいと思います。 
 
小城 歌枕さんの活動の万葉集は皆さんの関心が高いです。また、和歌劇など多くの皆さんに愛して頂けるような活動をこれからも続け、研鑽を積まれますよう、期待しています。
 
歌枕 ありがとうございました。
 

小城 利重 (こじょう とししげ)

斑鳩町長。

昭和46年 大阪商業大学商経学部を卒業。同年、奥野誠亮衆議院議員秘書。

昭和50年より斑鳩町議会議員を3期務める。

昭和60年 斑鳩町長。

平成元年 同(2期目)

平成5年  同(3期目)

平成9年  同(4期目)

平成13年 同(5期目)

平成17年 同(6期目)現在に至る。