歌枕直美 友の会
旧制八高で青春の時期を戦時中過ごされ、激動の時代を生きてこられた工学博士の角田美弘先生に、生のお話しをお伺いしました。
■激動の時代
歌枕直美(以下歌枕):先生との出会いは、昨年の関西八校会の新年会にゲストでお招きいただいたときでした。
角田美弘(以下角田):その節はありがとうございました。
歌枕:旧制高校時代というのは、どんな時代でしたか?
角田:時間を無駄にせず、勉強しましたね。「文武両道」を追求した生活でした。
歌枕:はっきり言い切られますことが、素晴らしいですね。(笑)先生の旧制高校時代には、すでに戦争ははじまっていたのでしょうか。
角田:私が八高へ入ったのが昭和17年の4月ですから、戦争はすでにはじまっていました。はじめは上級学校へ行っている人は、卒業まで徴兵を待ってくれたのですが、18年9月から変わりました。
歌枕:その時のことをはっきり覚えていらっしゃるんですね。
角田:はい。その翌月から、全員満20歳になったら徴兵検査を受け、文系の人は学徒出陣で出兵していきました。理系の私は残りました。
歌枕:理系の人を残したのは、どうしてなのでしょうか。
角田:軍事兵器の開発が遅れているので、理系が必要だったのです。文系の人は敏感でね、室員の一人から「室長は自分が行かないでいいと思っている」と言われました。そして、隣の室長が文系で出兵しました。
歌枕:その方が、新年会で「なき友のために」と歌われた方なんですね。
角田:はい。入営準備のため岐阜出発の日、名古屋駅まで送って行って、「ひとうつり」という寮歌を歌って送り出しました。
歌枕:その歌を先生が歌われたのを聴いて、私は感動し号泣してしまいました。寮歌というのは、どのようなものなのでしょうか。
角田:生きる指針ですね。先輩たちが、自分のできなかった理想を歌っていて、この寮歌を歌いながら、理想とはなにか真実とは何かを考えながら生活していました。「真・善・美」が寮歌には歌われていました。
■戦後の変遷
歌枕:先生は、終戦をどこで迎えられたのでしょうか。
角田:8月15日終戦の御音放送は、東京帝国大学安田講堂で聞きました。
歌枕:戦争が終わったと聞いて、どういう行動をされたのでしょうか?
角田:その内に進駐軍がやってきて、日本は関東と関西で分断されるのではないかと思い、貨物列車に乗って慌てて和歌山の実家へ帰ってきました。9月に入ると友人より、授業がはじまっていると電報がきました。
歌枕:立ち直りが早いですね。9月に授業がはじまっているなんて凄いですね。
角田:11月3日に総長より、日本の将来を信じているから、君たちに学んで欲しいと言う話があり、とても信頼できました。
歌枕:そして、工学博士になられたんですね。
角田:高校の時から、やりたいことは「真理探究と教育」だったので、関西の大学で教師になりました。
歌枕:私は体験していないのですが、学園紛争も体験されたそうですね。
角田:戦後のつらさを知らない世代の人たちが大学生になり、自由がないのはおかしいのではないかと暴れました。ちょうど、神戸大学で学生部長をしていた時に、学生達に取り囲まれ徹夜での集団交渉がありましたが、その圧力にも屈しませんでした。
歌枕:恐くなかったでしょうか。
角田:学生も暴力は振るわないだろうと思っていましたし、もしあっても、八高時代柔道部で三段でしたので、負けないと思ってました(笑)
■回想歌
歌枕:このたび先生の書かれたこの回想歌に曲をつけさせていただきました。この詩にとても感動し、すぐに曲ができました。
角田:ありがとうございます。歌枕さんの曲で、6番が元気に歌われている。私の気持ちがよくわかってくださっているんだなぁと思いました。
歌枕:5番で亡くなられた友がいるけれども、その次がある。今を生きていることが素晴らしいというのを伝えよう、その勇気が素晴らしいと思いました。今を生きている人間が、前を向かないといけないという気持ちを感じました。
角田:よくわかって下さっている。
歌枕:2番に、「薩摩義士」と出てきますが、名古屋と薩摩は、どういう関わりがあるのでしょうか。
角田:春の入学最初の日曜日にピクニックに木曽三川へ行きましてね、その時に千本松原の「薩摩義士墓」と書かれたところに着きました。説明を読みますと、江戸の中期に、徳川幕府の命により木曽・長良・揖斐三川の治水工事に薩摩藩が任されたのですが、工事中、洪水で何度も流され、はじめからやり直しをし、工事を完成させるのですが、工事の遅れと経費の使いすぎの責任をとって、薩摩藩の三人の家老が切腹をしたそうです。その薩摩義士を地元の人が言い伝えています。途中で投げ出さず、完成させてから切腹。こんなに責任感のある人達がいたのだと、とても感動しました。
歌枕:意味深いピクニックとなられたのですね。
角田:「自分の損になっても、やるべきことはやる」と教えられましたね。
歌枕:そのような教えを学生時代にしっかりと胸に刻み込まれていらっしゃるのですね。先生は、激動の時代を生きて来られました。そういう時代の上に、今の私たちがいると思います。
角田:ありがとうございます。戦時中は万葉集というと「海ゆかば」とつながり、避けるようなところがありました。しかし、歌枕さんの何にもとらわれない立場にたって歌っていただいて、我々も見直さないといけないなと思いました。これからも純粋な1300年前の思いを歌い続けてください。私も今から勉強します。
歌枕:先生のそのような謙虚さに、頭が下がります。今日の貴重な生のお話を、伝え続けていきたいと思います。ありがとうございました。
角田美弘(つのだよしひろ) | 大正12年 和歌山生まれ。 (学歴) 昭和16年和歌山県立和歌山中学校卒業。 昭和19年第八高等学校理科卒業。 昭和22年東京帝国大学第一工学部 電気工学科卒業。 昭和24年東京大学第一校学部大学院(特別研究生)前期修了。(昭和22年10月1日より、東京帝国大学は東京大学と改称。) (主な略歴) 昭和24年大阪大学工学部助手。 昭和26年神戸大学工学部助手。 昭和28年神戸大学工学部講師。 昭和35年神戸大学工学部助教授。工学博士(東京大学) 昭和37神戸大学工学部教授。 昭和62年神戸大学定年退職 神戸大学名誉教授。 昭和62年大阪工業大学・和歌山高専非常勤講師。 平成元年福井工業大学教授。平成8年退職。 (その他) 平成12年日本工学教育協会賞。 平成13年勲三等旭日中綬章。 |
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