歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.56 福持 通

戦後の日本を支えられて来た実業家の福持通さんに、日本の復興・高度成長などの、貴重なお話をお伺いしました。

■学徒出陣
 
歌枕直美(以下、歌枕):先日の旧制第八高等学校(以下、八高)の同窓会・関西八高会の新年総会でもお世話になりましてありがとうございました。
 
福持 通(以下、福持):1年に1回、毎年新年に歌枕さんの歌を聴かせていただくのを楽しみにしていました。
 
歌枕:ありがとうございます。毎年、お声がけいただき大変光栄でした。また、八高ご出身の皆様の凛として生きてこられているお姿を拝見し、いつも感動いたしていました。八高へ行かれたきっかけは何でしょうか?
 
福持:奈良に嫁いだ姉の夫が八高から京都大学の土木を出ていました。その影響で、自分も八高に入ろうと思いました。
 
歌枕:高校時代は、いかがでしたでしょうか?
 
福持:旧制高校の寮は、生徒の自治で成り立っていました。あるときは発散し、勉強し、自由に過ごしましたが、自分たちが責任を持って自分たちの行動を持していました。
 
歌枕:素晴らしいですね。そして、高校時代に戦争がありましたね。
 
福持:はい。「文系は軍隊へ行け!」ということで、2年半で繰り上げ卒業しました。
 
歌枕:学徒出陣ですか?その時は、どのように受け止められましたか?
 
福持:漠然と何人生きて帰れるかな?と思いました。そして、その時、最後に見たいものはと思ったのは奈良の仏様でしたね。
 
歌枕:奈良の仏様ですか?
 
福持:中学時代から歴史が好きで、最後に別れを告げるならと考えました。
 
歌枕:その時の思いは残っていますか?
 
福持:寒い日で、誰もいなくて2時間近く、三月堂の諸仏を拝んで帰りました。戦局は厳しく、大変でしたが、生きて帰ることができました。
 
歌枕:戦争が終わって、どのようなお気持ちでしたか?
 
福持:正直なところ、これで部下をもう死なすことはない。自分も生き残れたと、ほっとした気持ちでした。そして、戦争から帰って、もう一度仏様を拝みに訪れましたが、まったく印象が違っていました。
 
歌枕:どのように違いましたか?
 
福持:仏様は同じなのですが、死ぬ気持ちで来たときと、生きて帰って来たときでは受け止め方が全く違いましたね。やはり、死ぬ思いというのは純粋なのだと思います。
 
■高度成長期
 
歌枕:戦争後、また勉強を始められましたか?
 
福持:はい。2年間京都大学に戻って、ほりだされました。(笑)
 
歌枕:優秀すぎてですか?(笑)その後、どうなされましたか?近鉄に入られたのはどのようなきっかけですか?
 
福持:卒業したら、実家の酒造業の手伝いをしながら、民法の先生の元で勉強するつもりでしたが、卒業前に突然、父が近鉄の入社試験を受けろと言って来ました。父は、息子があまり理屈ばっかり言っていてはいかん。世間に慣れさせたいと思ったのでしょうね。
 
歌枕:近鉄に入られて、はじめはどのような仕事をなされたのですか?
 
福持:近鉄に入って、本業の運輸よりもそれ以外の仕事をさせて欲しいと希望。広報・宣伝のテレビの仕事などをしていました。白黒テレビの時代に、カラーを使って撮影したのは、私が初めてでした。どうやったら白黒がきれいに見えるかなどと考えました。
 
歌枕:意外ですね。それ以外には、どのような仕事をなされましたか?
 
福持:その次にしたのは、沿線開発。用地買収の仕事でした。新しいものを作る、これは非常に面白かったですね。
 
歌枕:生み出すことの楽しさは、よくわかります。他にはどのようなことをなされましたか?
 
福持:ちょうどJALが誕生したときに2年間出向しました。私がすること、なすことがすべて前例になるので、大変でしたが面白かったですね。アメリカ占領下の伊丹空港勤務でした。
 
歌枕:その当時、日本人とアメリカ人の違いがありましたか?
 
福持:第一線でも本国にいる様に襦給するのがアメリカ流。服装も食事も、贅沢なものでした。ちょうど朝鮮戦争のときでしたので、早朝、気象観測機が飛ぶんですが、機長が長々と奥さんとキスをしてから飛んでいくんですね。
 
歌枕:それを目の当たりにして、どう思われましたか?
 
福持:これでは勝てる訳がなかったなと思いました。
 
歌枕:そうですか。私は、昭和37年生まれで、ちょうど高度成長期に育ち、戦後10年間アメリカに占領されていたということが欠落しています。
 
福持:日本の戦後の復興には、世界情勢が大きく影響しています。朝鮮戦争の特需で、経済を立て直しました。戦争以前から蓄えた日本の技術があって、アメリカの要求に応えられました。
 
歌枕:日本の巧みですね。
 
福持:朝鮮戦争を機に、それを足がかりに上っていきました。それがなかったら、ここまでの成長はなかったと思います。
 
歌枕:戦争のご経験があって、その後、10年、10年を考えると、日本の変化をご覧になられてこられていますね。
 
福持:自分もその中にいて流されていたと思います。今と違って、高度成長期は、前に向かって走った方が勝ちでした。
 
歌枕:現役のときは、仕事が面白かったですか?
 
福持:はい。鉄道以外の開発や宣伝など好きな仕事をやらせていただいたので、とても充実していました。
 
歌枕:その後、都ホテルの社長を務められたのですか?
 
福持:はい。社長から「君は人と会ってどうや?」と聞かれ「楽しいです。」と答えたら、
「そういう人は、他に近鉄にはおらん。ホテルに行ってくれ。」と言われました。
 
歌枕:そうなんですか?それで白羽の矢が当たったのですね。いかがでしたでしょうか?
 
福持:ホテルは、お客様がいらっしゃって、無事に帰っていただくまでが仕事です。自分の時間を持つことができませんでしたね。外には見えない苦労がたくさんありました。
 
■神話のある国
 
歌枕:ちなみに日本人のいいところはどういうところだと思われますか?
 
福持:信義に厚いところですね。
 
歌枕:今は、時代は変わって、そういう人は少ないかもしれませんね。
 
福持:それでも他の国に比べたら多いと思います。
 
歌枕:そうですね。私も日本人ほど、勤勉な民族はないと思います。それは国民性ですか?
 
福持:四季のあるこの風土から生じたのだと思いますね。
 
歌枕:それではアメリカ人のいいところは?
 
福持:屈託のないところですね。兵役制度によるのかもしれませんが、細かな決まりが少なく、責任のとり方が厳しいですね。一神教の神がいるかいないかの差でしょうか。
 
歌枕:歴史がお好きだったのはどういうところですか?
 
福持:古代史が好きでしたね。神話の世界、邪馬壱国、古事記。素人ながら大好きでした。
 
歌枕:今、私の活動でも、古事記を題材に作品作りをしていて、ちょうど「アマテラス」を作っているところです。
 
福持:アマテラスがいつ誕生したのか?そして、風の神様、火の神様など、皆日本中至る処にあって面白いですね。いろんな解釈ができるし、立場によって切り口が違う、それが面白いです。
 
歌枕:わからないが故に、面白いですね。
 
福持:はい。これからも日本の歴史を歌い続けてください。
 
歌枕:また機会がありましたら、コンサートにぜひお越しいただけると嬉しいです。今日は貴重なお話をありがとうございました。
 
 
 
 

福持 通(ふくもち とおる)

1922年生まれ。三重県名張市出身。京都大学法学部卒業。

1948年近畿日本鉄道に入社。宣伝、開発、不動産、ホテルの事業に携わる。

1988年株式会社都ホテル代表取締役社長に就任。

1997年3月、株式会社都ホテル取締役相談役に就任。