歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.60 上野 誠

万葉集研究の第一人者であり、また歴史学・民俗学・考古学などの研究もなされている、上野誠先生の研究室にお伺いしました。

■博多の洒脱さ
 
歌枕直美(以下、歌枕):ご無沙汰いたしております。以前から気になっていたのですが、上野先生はどちらのご出身ですか?
 
上野誠(以下、上野):よく聞かれますが、奈良ではなく福岡県の旧甘木市で現在の朝倉市で、九州男児です。
 
歌枕:九州も歴史の深いとこですね。
 
上野:はい。奈良ほどではないですが、福岡は古代史や「万葉集」に対する関心がきわめて高いところですね。古代大陸交流の拠点で、遺跡も多くあります。また俳句が盛んなところでもあり、奈良と同じ様にホトトギス系の俳人が多いところです。実は、母をはじめ親戚に俳人が多くいまして、法事などで皆が集まると句会になっていました。
 
歌枕:すごいですね。お母様の俳句で記憶されているのはありますか?
 
上野:僕が選んだ母の代表作は「かわず鳴く田はさみどりの方眼紙」です。母は、雑誌「ホトトギス」の同人で、九州の俳壇では活躍している時期もありました。
 
歌枕:文学への興味は、お母様の影響でしょうか。
 
上野:そうですね。ただ僕は俳句がいやで「僕は俳句なんてしぇんばい!」と博多弁でいつも言っていました。(笑)しかし、大学に進学をする時には、考古学や万葉集に興味があって文学部に進み、東京へ行きました。その時 母は、「子には春の夢はばたかせてより雲に」という句を送ってくれました。
 
歌枕:お母様が大事な時々に、句を送ってくれたということがドラマですね。
 
上野:また大学に入ってしばらくして、食堂でうどんを食べながら、某新聞の俳句の欄を見た時に、「一流に少し外れて入学す」と出ていて、ユーモアがある句だな、母の句に似てるなと見ているなと思いながら作者名を見てみると「福岡 上野繁子」とあって驚きました。
 
歌枕:それは驚かれますよね。
 
上野:また、私がはじめて福岡で講演をやった時に、母が弟子をたくさん連れて聞きに来てくれたのですが、終わったあとロビーで「あげな品のなか、中身のない講演をする子供の親の顔がみてみたい。」と話しているのが聞こえてきました。
 
歌枕:本当に粋なお母様ですね。
 
上野:タモリの芸風 博多の洒脱さと同じですね。最初は人を笑わせても最後は自分を笑う、そして人を楽しませる。そこに来てくれた人に、その時間を楽しんでもらう様に自分も心がけています。小商人の精神ですね。
 
 
■先生と共に
 
歌枕:大学生活はいかがでしたでしょうか。
 
上野:國學院大学文学部日本文学学科に入学しました。その時、父より「基本的に学問とか文学は習ってできることじゃないから、常に先生といることが大切。」と言われました。
 
歌枕:お父様よりの「見て学びなさい。」という教えですね。
 
上野:はい、それで勇気を出して「万葉集」研究の桜井満教授の研究室を訪ねてお話しすると、今日からいらっしゃいっと言ってくださり、大学4年、大学院2年の6年間は、研究室に行って、お茶を出して、雑用をお手伝いし、先生がどのように仕事をされているかを見て学びました。
 
歌枕:桜井教授の研究室は、いかがでしたでしょうか。
 
上野:桜井教授の研究室は、歌人・釈迢空であり、異端の国文学者、民俗学者として有名な折口信夫の学問伝統を受け継ぐ研究室でした。
 
歌枕:折口信夫さんは、大阪ご出身の方でしたでしょうか。
 
上野:折口信夫先生は、大阪の薬屋の息子で、小商人の精神を持っていて、口訳万葉集を作られました。当時、今宮中学の教員で、中学生がわかるように、自分たちが教えている生徒のためにだったので「だから おっかさんが…。」のような大阪弁で全訳し、それが日本ではじめての全口訳となりました。
 
歌枕:とても意味のある研究室で、大学時代に学ばれたのですね。
 
上野:はい。私が19歳で当時49歳の桜井教授に出会いました。先生の周りには、全国から『万葉集』を学ぼうとする学生が集まっていました。その中で、多くのことを学びました。
 
 
■万葉集を次世代へ
 
歌枕:ご卒業後、奈良大学に来られたのは、万葉集の研究のためでしょうか?
 
上野:そうですね。両親の希望もあり、九州の大学にと考えましたが縁がなく、その時に奈良大学に若手研究員の公募があり応募しましたが、その当時、ここには錚々たる教授陣がいらっしゃり、古代史のメッカともいうべき大学でしたので、はじめは採用されることなどあり得ないと思っていました。(笑)
 
歌枕:やはり奈良は特別な場所ですね。実際に奈良大学に赴任されて、いかがでしたか?
 
上野:赴任した日に、当時文学部長だった水野正好先生より「奈良大学で『万葉集』を講ずるということは、赴任した日から大学の看板であると自覚して下さい。そのプレッシャーに負けるようであれば、奈良で万葉を講ずる資格はありません。」と言われました。それは、今でも私にとって重圧になっています。
 
歌枕:大変なことですね。その研究を発表される、講演されることには抵抗はありませんでしたか?
 
上野:研究者の仕事は、書物でわかることはとことん調べ、調べたことを人様に伝える。歌枕さんは、実際に万葉集を歌うということで、万葉集にある情感を伝えられていると思います。僕は、歌えないけど、本を書いて、講演をします。その時に、相手が求めているものニーズに合わせる様にして、飽きず楽しめるように工夫しています。歌枕さんもコンサートの時に、客席との距離やお客様の年齢層などにより、コンサートの進め方を考えられていると思います。
 
歌枕:そうですね。同感です。
 
上野:そういうところでは、私のやり方と歌枕さんのやり方は近いと思います。
 
歌枕:それは光栄なことです。これからの目標はありますか?
 
上野:奈良に住む中学生や若者に、万葉集に興味をもってほしいですね。
 
歌枕:私もそう思います。折口先生のお考えとも共通しますね。
 
上野:そうですね。折口先生は、大正からわかりやすく伝えるということをされていて、自分は平成の世の中でどうできるかを考えています。まずは教員の力だと思います。特に奈良において教えている人たちは興味を持って教えてほしいと思います。
 
歌枕:大切なことですね。どのようにすれば実現するでしょうか。
 
上野:先生たちの研修もありますし、最近では一条高校のオープンキャンパスで中学三年生を対象に講義をするなども行っています。
 
歌枕:私も若い世代の人たちに、興味をもって欲しいと思い学校などでの公演も行っています。また、先生の視点で外国の方に、日本の紹介をするとしたらいかがでしょうか。
 
上野:日本の心を知りたいのであれば、「三輪山」へ行ってごらんと言います。ご神体が山、そして木も石も、すべてのものに神が宿っている、すべてのもが神という神聖を持っているということをお伝えしたいです。
 
歌枕:一神教を信仰する方々にも、万葉集や古事記をとおして、すべてのものに神が宿ると考える日本の精神を、音楽を通してお伝えしていきたいです。今日は貴重なお話をありがとうございました。
 
 
 

上野 誠 (うえの まこと)

1960年、福岡生まれ。

国学院大学大学院文学研究科博士課程満期退学。博士(文学)。奈良大学文学部教授。国際日本文化研究センター客員教授。

第12回日本民俗学会研究奨励賞、第15回上代文学会賞、第7回角川財団学芸賞受賞。『古代日本の文芸空間』(雄山閣出版)、『万葉体感紀行』(小学館)、『大和三山の古代』(講談社現代新書)、『魂の古代学――問いつづける折口信夫』(新潮選書)、『万葉挽歌のこころ――夢と死の古代学』(角川学芸出版)など著書多数。

万葉文化論の立場から、歴史学・民俗学・考古学などの研究を応用した『万葉集』の新しい読み方を提案。近年執筆したオペラの脚本も好評を博している。