歌枕直美 友の会
京都伝統工藝館 無名舎の当主であり、半世紀をかけて近代化された京町屋や祇園祭を本来の形に復興される活動をおこなわれた吉田孝次郎先生にお話をお伺い致しました。
■神職への道
歌枕直美(以下、歌枕):先日の秋の「アメワカミコ」公演では、大変お世話になりましてありがとうございました。本格的な活動の復帰公演を考えた時に、20代の頃に多くの刺激をいただいた吉田先生の無名舎でさせていただきたいと思った願いが叶い、良いスタートを切ることができました。
吉田孝次郎(以下、吉田):それは大変喜ばしいことです。ありがとうございます。
歌枕:30年経って、今の自分自身のベースの部分で、吉田先生からの大きな影響を受けていることに、感謝をお伝えしたいと思っておりました。
吉田:私自身も病気をした時に、自分の人生を振りかえり東京から京都へと戻ってきました。歌枕さんにとっても重病されたことは大変だったでしょうが、良い転機とされたと思います。
歌枕:本当にその意味がよくわかります。吉田先生が西洋画を学ばれた背景は何がきっかけでしょうか。
吉田:この家で育ったというイメージで、日本画でないのかと思われがちですが、その時代は、美術学校で絵を学ぶというと油絵でした。
歌枕:以前に、吉田先生が描かれた絵を拝見した時に日本画のように感じました。
吉田:新しい生き方をしたいと意識的に他のものを求めて、東京に行って西洋画を学んでも、この環境で育ったことは身にしみていて、私が描いた絵は日本的なものが多いですね。
歌枕:とても印象的な絵でした。そして、東京から京都へ戻られることになったきっかけは何でしょうか。
吉田:私が36歳の時に父が亡くなったことと、ちょうどその時期に病気で入院し、体を悪くしてまで働いている自分自身は不自然だと考え、職場を辞めて京都に戻りました。
歌枕:それが吉田先生の人生の転機だったのですね。
吉田:そうですね。父は私を東京に出してくれた時に英断をし、この家は家賃収入のはいる商業的な建物に変えて貸していました。また戻って来た時には、町全体が京都の風情をなくし、大事な物を失っていると感じました。
歌枕:大変な労力が伴う町家の再生を決意なされたのは、何かきっかけがおありだったのでしょうか。
吉田:この建物の借り手が出て行くことになり、これがチャンスと昔の姿に元に戻すことを決意しました。
歌枕:その時、お母様はどのようにおっしゃられましたか?
吉田:はじめ工事を始めた時には、「人に迷惑をかけたらあかんで。」と言われましたが、座敷にはいる欄間を北野の天神さんで1枚5000円で買い付けて来たりしているのを見て、「あんたがそんなことできるんやったら、ちゃんとできるかもしれんな」と言われましたね。(笑)
歌枕:ひとつひとつ吉田先生が手がけられ、甦らせられたのですか?
吉田:はい、そうですね。母は、完成した時には「私が嫁入りした時と同じになったね。」と喜んでくれました。
■THE京都
歌枕:はじめて私が無名舎にお伺いしたのは、再生が完成された頃ですね。
吉田:はい。お金はないけれど家内と2人してこの家を運用活用していくことに喜びを感じて、意気に燃えていました。
歌枕:今から考えますと、まだ自分自身が何を求めているかもわからない状況でしたけれど、先生と奥様のその姿を見て心を動かされました。
吉田:贅沢な食事にお金をかけるより、気に入った美しい物を生活の中に、身近に置く、そういうことに価値を感じています。
歌枕:当時、ここで民芸家具を知りその美しさや肌触りの良さに興味を持ち、今、自宅にもうたまくら茶論にも置いて日常的に使っています。
吉田:それが大切ですね。やすらぎを感じますね。生活の中にあるということが重要です。
歌枕:京都だから、無名舎だから、素晴らしい物があるからではなく、ここに吉田先生がいらっしゃり、その感性により、ここの強さと品格があると感じます。
吉田:ありがとうございます。そうですね、この家に私がいなければ死んだ家になりますね。(笑)しっかり体幹ががとおった骨太さがある中に、おくゆかしさがある、私がこの家にいて”THE 京都“ですね。
■今を生きる、今を歌う
歌枕:これからも吉田先生がいらっしゃる間、無名舎で定期的にコンサートをさせていただきたいと思っています。また先日コンサートをさせていただいた2階のお部屋は板間になっていましたが、吉田先生が考えられたのでしょうか。
吉田:はい。1階では宴会ができるように日本間。2階には、祇園祭の笛の稽古ができるように板間にしました。音響効果がとてもよいので、再生した杮落しには、チェンバロでのバロックコンサートを行いました。
歌枕:コンサートをさせていただくにはこのお部屋だとピン!ときました。無名舎でのコンサートでは、どこまでも深い京都の歴史を新しい作品として出して行きたいです。次の公演の作品として「敦盛」を検討しています。
吉田:江戸時代につくられた源平の絵の小袖がありますよ。その公演の時には、どこかに飾っておいたらよろしいですね。
歌枕:嬉しいです。ここに来させていただくと、無言のびんびんとくるものを感じ、これをこうしたいという思いが膨らんできます。年に1回は京都でと、全国からのお客様にお集まり頂けると素敵だと考えています。
吉田:わざわざここまで来て聴く、あなたの音楽が特別聴きたいという大事な方々がそろっていらっしゃいます。歌枕さんは、普通のあり方と違うコンサートを自己表現としてされてきて、また様々な会場を内容に合わせて選ばれて行われていますね。それは動員することなどを考えるととてもご苦労の有ることだと思いますが、そのコンサートのあり方には膨大な喜びが有ると思います。
歌枕:ここでしか聴けない、心が震える様な作品を準備したいです。
吉田:体裁のものや、ぺらぺらの理想は役に立たないと思います。大変な思いをされてそれを乗り越えた歌枕さんが、今を生きること、今を歌うことが、人の気持ちを突き動かすと思います。私は80歳になった時に、これからが青春だと思いました。生きているこの時間が重要、自分が価値を感じることにかけたいと思っています。歌枕さんも頑張って下さい。
歌枕:ありがとうございます。本日は貴重なお話をありがとうございました。
吉田 孝次郎 (よしだ こうじろう) | 昭和12年京都生まれ。昭和23年祗園祭北観音山の囃子方となる。昭和36年武蔵野美術学校を卒業し,同大学造形学部助手。昭和48年から京都芸術短期大学非常勤講師を10年務める。平成元年に京都生活工藝館無名舎を開設。平成17年から武蔵野美術大学参与を務め現在に至る。同年文化庁長官表彰受賞。祇園祭山鉾連合会元理事長。京都生活工藝館無名舎主、NPO法人美しい京都理事長。 |
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