歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.86  近藤 博道

 
 
10数年来、浜松公演においてお世話になっている黄檗宗 初山 宝林寺の大本山であり、今回の5月公演でお世話になる京都 宇治にある黄檗宗 萬福寺の第63代管長 近藤博道猊下にお話を伺いました。
 
 

僧侶への道
 
歌枕直美(以下、歌枕):五月の古事記うたものがたり「天地創生ーあめつちのわかれしとき」公演の際は、お世話になります。
 
近藤博道(以下、近藤):今回初めての本山で公演いただけるとのことで、とても楽しみにしています。
 
歌枕:ありがとうございます。近藤猊下は、はじめから僧侶の道を志されたのでしょうか。
 
近藤:私は次男で、兄がお寺を継ぐ予定でしたから、父から「好きなように生きてよい」と言われていました。
 
歌枕:そこからどうして僧侶の道へと歩まれることになられてたのですか。
 
近藤:兄が自分のお寺ではなく、他の所のお寺を継ぐことになり、私が自坊を継ぐことになりました。
 
歌枕:継がれることになるまでは、何にご興味があったのですか。
 
近藤:学生時代はもともと、映像に興味がありました。
 
歌枕:映像ですか。
 
近藤:映像の中でも観る方ではなく、撮る方でした。その当時、劇映画から映像美を撮る撮影方法へと変化していった時代で、藤栄一や津安二郎など新しい手法で映画を撮影する映画監督が登場しました。
 
歌枕:そのような新しい撮影手法の映画を観て、何を感じられましたか。
 
近藤:とても感動し、おもしろいと思い、興味が湧きました。光と影を巧みに使ったり、カメラを低いところから撮影したりと、監督ごとの特徴が表れるような撮り方でした。
 
歌枕:ところが、映像の道ではなく僧侶の道を歩まれたのですね。修業は大変ではありませんでしたでしょうか。
 
近藤:父と兄には「帰りたくなったら帰るよ」と言っていました。そういう気持ちだったので、修業のプレッシャーに負けずに済んだのかもしれません。
 
歌枕:確かに心の持ち方は大事なことですね。
 
近藤:なかには修業が厳しく、途中で帰る人もいます。そしていろんな思いや経験をし、クリアしながら成長しなければなりません。
 
歌枕:重要な過程ですね。
 
近藤:「これもあり」、「あれもあり」と行動をとっていくと、最後に自分がどう感じるか、学んでいく上で必要なことがおきます。そして、受け入れてはじめてその先にいけるのです。
 
歌枕:そうして、多くのことを通過してこられたのですね。
 
近藤:今思えば、「好きなことをしてもいい」と言われたのも、跡を継がすための手だったのかもしれません(笑)。
 
隠元禅師
 
歌枕:2022年に隠元禅師の350年大遠忌を迎えられましたが、隠元禅師がいらっしゃる頃からのものが多く残っていると伺いました。
 
近藤:そうですね。まず、建物は隠元禅師がいらっしゃった頃からのもので、時代ごとに何回も修復しながら維持しています。
 
歌枕:素晴らしいことですね。これだけの建物を維持するのは大変なことではありませんか
 
近藤:日本人はいかに残していくかという視点で、建物や書物を後世に残していきます。もちろん、戦後など大変な時代もあり、その時代の写真も残っています。このような写真も歴史を語るうえで、必要なものです。
 
歌枕:350年と一言で言いますが、その歴史の奥深さを感じます。
 
近藤:同じようなことを中国から来られた黄檗宗の方もおっしゃっていました。
 
歌枕:中国のあり方と違うのでしょうか。
 
近藤:中国では時代ごとに建物はすべて取り壊して、建て替えます。
 
歌枕:修復するのではなく、古いものは壊して、新しいものに変えていくのですね。
 
近藤:そのため、中国の黄檗宗の方々が、遥々、この日本の萬福寺にお越しになられ、隠元禅師がいた頃の建物を見て、驚かれます。
 
歌枕:後世に残し、守っていく尊さを感じます。
 
近藤:国が貧しい時は文化や残されている歴史が壊されてなくなってしまいますが、中国四千年の歴史とよく言いますが、豊かになってくると自国の歴史を知りたい、歴史を再興して残して、のちの人に見せてあげたいと思うようになります。
 
歌枕:なくして初めて歴史や文化の大切さ、有難さを感じるのですね。
 
近藤:国の歴史、隠元禅師が残された数々のものは、まさしく宝物です。
 
歌枕:萬福寺の境内には電線がなく、山が見え、隠元禅師がいらっしゃた時代にいるような気がします。
 
近藤:境内を案内している時に「ほら、そこに隠元禅師が歩いていますよ」と言ったりしますよ(笑)
 
禅の世界
 
歌枕:萬福寺の境内は鳥の鳴き声が聞こえ、別世界だと感じました。
 
近藤:人は鳥の鳴き声を聞くだけで、世界が広がり、ハッと気づきます。それが人間の感性であり、大自然の中で我々が生活をして生きていることが感ぜられます。
 
歌枕:人間も大自然の一部と感じます。
 
近藤:禅の言葉で『鳥の声が聞こえた時、その音と自分が一つになる』という言葉があります。
 
歌枕:それがハッと気づくことなのですね。
 
近藤:そうです。そういう中で自分を研ぎ澄まし、感性をいかに拾えるかが大切です。
 
歌枕:気づくか、気づかないかで大きな違いですね。
 
近藤:座禅の中では無心と言いながらも、自然と音はすべて聞こえてきます。よく言われるのが、線香を立てて座禅をしますが、線香の灰が落ちた時に「ドン」と音が聞こえる、そのくらい自分の心と感性が研ぎ澄まされ、音のしない中で聞こえると言います。
 
歌枕:聞こうとしてるのではなく、聞こえてくるのですね。
 
近藤:歌枕さんは音楽の道を歩まれていますが、音楽に対してどう感じているのですか。
 
 
 
歌枕:西洋音楽から入り、私が学生の頃は先生を真似る、個性ではなく教科書を学ぶような音楽でした。その中で日本人として誇りの持てることをしていきたいと、今の活動を続けています。
 
近藤:禅の言葉で、『昨夜 飛んで 海にり に依って 一輪 なり』というのがあり、『昨日の太陽が海に沈み、そして今日の太陽が昇ってきた。同じ太陽だけれども、昨日沈んだ太陽と今日の太陽は違う。それは色々なものを通過し、海に沈み、全てのものを取り払って出てきたものが今の太陽である。』という意味の言葉です。
 
歌枕:大変深い言葉ですね。
 
近藤:学んできて、余計なものを外し、最後には元に戻ります。ところがそれは、以前見たものと、通過して見たものは違う世界なのです。
 
歌枕:通過して、また元に戻る重要性を感じます。
 
近藤:『あるがまま』という禅の言葉がありますが、これになるためには、さまざまなことを経験・体験し、学んで、最後に余計なものを取り払ったところが『あるがまま』なのです。はじめから『あるがまま』では誤解を招いてしまします。
 
歌枕:確かにそうだと思います。
 
近藤:多くの経験を通過して、余分なものがなくなり、到達し、頷け、『あるがまま』に気付くのです。
 
歌枕:禅は生きていくためのヒントの言葉が多くありますね。近藤猊下は数年前に全国の黄檗宗のお寺を行かれたそうですが、いかがでしたでしょうか。
 
近藤:コロナ前に全国のお寺約百ケ寺ほどへ行き、各寺院の住職と信徒の方と交流を図り、隠元禅師の三百五十年大遠忌にご協力をお願いしたいとお声がけさせていただきました。この交流会の最後には質疑応答時間を設けました。
 
歌枕:どのような質問が印象的でしたでしょうか。
 
近藤:禅と哲学の違い、お墓に造花を供えても良いのか、娘を亡くして寂しくて仕方ありません、など、本当に様々な内容の質問に一つずつ答えていきました。
 
歌枕:とても大切なことだと思います。
 
近藤:管長職というのは、建物の奥に籠っていて、晋山式やお葬式などに呼ばれて外に出ていっていました。現代はそれではいけないと思い、こちらから出向いて接触を図ることが第一だと考えました。
 
歌枕:人との出会いの重要ですね。
 
近藤:相手から話を聞くだけでなく、こちら側も自分のあった出来事の話もします。お互いに意思の疎通することで、向こうからも話をしてくれるようになります。
 
歌枕:こういう話をしても良いのだと、気持ちが和らぎますね。
 
近藤:日常のことを話してもらう、こういうことが大切で、人と接しないと伝わりません。歌枕さんは言葉や和歌だけでなく、音楽でも人の心に伝えることをされており、本当に素晴らしいです。
 
歌枕:今回は古事記をテーマとした物語で、本山の萬福寺と、浜松の宝林寺でも公演させていただきます。
 
近藤:日本という国に誇りを持ち、日本人の心を歌い出して、多くの人が感動を受けるようなコンサートを楽しみにしています。
 
歌枕:本日は貴重なお話をいただき、ありがとうございました。五月「天地創生」の公演の際にも、どうぞ宜しくお願いいたします。
 
*注1…1952年、東映入社。監督としてチャンバラ活劇を手がけ、特に「十三人の刺客」(1963年)に代表される、集団時代劇によって才能を開花させた。光と影、静と動を巧みに使った独自の様式美による演出が特徴的。
*注2…1923年、松竹に入社。庶民の生活感情を、低位置のカメラアングル、全編カットでつなぐ独特な手法で描いた。代表作「生れてはみたけれど」「晩春」「麦秋」「東京物語」など。
 
 

近藤博道(こんどうはくどう)

黄檗宗管長、黄檗宗萬福寺 第63代住職。黄檗宗教学部長、宗会議長、萬福寺禅堂師家などを務め、2015年管長就任。