歌枕直美 友の会
アラスカ
歌枕直美(以下、歌枕):昨年の音絵巻「さまよえる人-ユダヤの手風が古事記の謎を解き明かす-」の公演の際には、お越しいただきありがとうございます。
中島たかし(以下、中島):ちょうど日本に帰国している最終日に、奈良トヨタ株式会社の菊池社長にお声をかけていただき、はじめて行かせていただきました。
菊池 攻(以下、菊池):良いご縁を繋ぐことができて、嬉しく思います。
歌枕:また私が20代の頃に写真展や講演会へ行き、その生き方に共感した白川義員さんのお弟子さんと中島さんがお知り合いなのも驚きました。
中島:歌枕さんが今も白川さんの初期の写真集を大切にお持ちになられ、ご縁を感じました。
歌枕:菊池社長と中島さんの出会いはどのようなものだったのですか。
菊池:2015年にある会でアラスカに行くことになりました。現地集合だったのですが、なぜか私が乗っていたシアトル発アンカレッジ行きの飛行機がシアトルに引き返してしまい、もう一度飛行機を乗り直して四時間遅れでアラスカに到着しました。その際のガイドだったのが、中島さんでした。
中島:先に到着された方をホテルにお送りして、空港からホテルまでの約1時間、菊池社長と二人っきりでお送りする道中にお話させていただいたのが初めてでした。
歌枕:運命的な出会いだったのですね(笑)。
中島:ツアーの他の方がいらっしゃらなかったので、アラスカが舞台の映画のお話や、なぜ自分がアラスカにいるかなど、お互いのことをじっくりと知ることができました。
菊池:中島さんは写真家ですが、アラスカではネイチャーガイドもされています。
歌枕:中島さんはアラスカにはどのくらいの期間、いらっしゃるのですか。
中島:アラスカには撮影の期間なども含めて約7~8ヶ月ほどおり、アメリカのもう一つの拠点であるポートランドに2~3ヶ月、日本に1~2ヶ月といった流れで年間暮らしています。
歌枕:アラスカの魅力はどういったところでしょうか。
中島:アラスカには多くの原生自然が残されています。このような自然、そして動物たちを動物たちの目線で写真を撮影し、動物の立場で語るようにしています。またネイチャーガイドをする際には、今度は言葉で伝えています。
歌枕:自然の中に解けこまれ、人間から見る目線ではなくお伝えされているのですね。
中島:撮影期間は自然の中に入り込み、今ここにいる自分と全く違う自分があり、モードが変わります。
歌枕:元々、アラスカという地には興味があったのでしょうか。
中島:野生動物に関わる仕事をしたいと大学時代に志し、その中でオオカミにも興味を持ち、アラスカ大学に留学することになりました。そして、アラスカが拠点になりました。
歌枕:そのような道が決まっていたのかもしれませんね。
中島:決断をしていったのは自分ですが、この道に導かれ、引き寄せられたのだと思います。
オオカミと日本
歌枕:中島さんはオオカミのどういうところにご興味がおありなのでしょうか。
中島:オオカミの生きざま、生態に興味があり、人間に似ているところがあります。例えばオオカミは社会性があり、群れの中で役割が決まっています。
歌枕:それはどのような役割に分かれているのですか。
中島:オオカミは自分の子でなくても子供を育てる役割、狩りをする役割など群れで生活するためのそれぞれの役割分担がされており、本能だけで生きているわけではないのです。
歌枕:初めて知りました。
中島:また住んでいる場所でオオカミの暮らしぶりが違い、大陸にいるオオカミは体が大きく、鹿などを倒して食べますが、海辺にいるオオカミは夏場はサケなどの海由来の物も食べたりします。このようにどこにでも適応できるため、オオカミは世界各地におり、もし、人間がいなければ彼らの世界があったのではないかとも想像し、非常に興味深い動物です。
菊池:ちなみに日本で最後にオオカミが確認されたのは、奈良の東吉野です。
中島:ちなみに日本で最後にオオカミが確認されたのは、奈良の東吉野です。
歌枕:アラスカのオオカミと、日本のオオカミに違いはあるのでしょうか。
中島:アラスカはアメリカ大陸にありますが、半島のようなところに住んでいるオオカミがおり、島国の日本のオオカミと共通しているところがあるのではないかと考えています。
歌枕:その最後のオオカミがいた吉野には行ったことはあるのですか。
中島:菊池社長のご紹介もあり、実際に吉野に行って山にも入りました。アメリカの山とは全く違いました。
歌枕:どのように違っているのですか。
中島:日本の山は深く、木が横に広く、葉っぱも肉厚で茂みが深いです。また地形でいうと、起伏が大きく山がちです。アラスカなどアメリカの西海岸は木が細く、縦に長く伸び、そのあり方が違いました。
歌枕:日本でも写真を撮影したいと思いますか。
中島:今はアラスカで撮影していますが、自分はやはり日本人なのでアメリカ人の方が見ている奥行きのある写真とは違い、平面的な写真を撮ります。なので、日本人らしさという形、また最後のオオカミがいた吉野という地にも興味がありますし、日本人としてどう伝えていくかということを考えています。
一期一会
歌枕:菊池社長とは出会ってもう三十年近くなりますが、ここ4~5年、親しくさせていただき、私が20代の頃に強く影響を受けた壷阪寺の先代 常盤勝憲師のご子息である勝範師とご縁を頂戴し、また今回、白川義員に繋がる中島さんをご紹介くださり、本当に感謝しております。
菊池:歌枕さんとは興味関心の観点が通じ、私も嬉しく思います。
中島:私自身も菊池社長とアラスカで出会い、その当時まだ写真展をしたことがありませんでした。ところが菊池社長より写真展をして見ないかとお声をかけてくださり、そこから四回、レクサス奈良八条店にて、写真展をさせていただきました。これが原点となり、次への写真展や活動へと広がり、エプソンのフォトグランプリで受賞させていただきました。
菊池:中島さんは志しをもってアラスカへ行き、まだ若く、何か力になれないかと思い、実績になる写真展をレクサスのショールームで開催いただきました。
歌枕:これも全て菊池社長が繋いでくださったご縁のおかげですね。
中島:昨年の歌枕さんのコンサートの物語のベースが『循環』で、自然からエネルギーをいただく、生命の暮らしぶりという東西に共通するテーマで、歌枕さんとはシンクロニシティを感じるご縁を菊池社長に繋いでいただきました。
菊池:人のご縁は一期一会で不思議なものです。共通に感じていることを共有できるようなご縁になり、嬉しく思います。
中島:うたまくら社の三十周年誌に書かれていた幸田露伴の『小さくてもいい、深くて丈夫な井戸を掘れ』と書かれており、似たような言葉で星野道夫さんの言葉で『浅き川も深く渡れ』という言葉があり、非常に共感しました。また白川さんとのご縁も驚きました。
歌枕:白川さんには何回も自分が影響を受けたということを伝えたくて、手紙を書こうとしましたが、その当時、自分に確固たるものがなかったため書くことができませんでした。数年前に白川さんがお亡くなりになり、生きている間に何に感動したのかを伝え、会いたい方には会わないといけないと強く感じました。
菊池:歌枕さんも中島さんも、歌や写真からで、それぞれの表現方法で日本というものをこれからも伝えていってほしいです。
中島:そうですね。日本の再編集という視点でこれからも動物の視点で写真で伝えていけたらと思います。
歌枕:数千年の歴史がある日本人のルーツをこれからも生涯かけてやり続けたいと思います。また中島さんとは共通項をベースにご一緒できる機会があればと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。
*注1…アルプス・ヒマラヤなどの山岳風景や、聖書や仏教の世界を題材とする作品を発表後、「地球再発見による人間性の回復へ」をテーマに、世界各地の名峰や南極大陸などの雄大な自然をダイナミックに撮影し、世界的な評価を得た。
菊池 攻(きくちおさむ) |
1982年上智大学文学部を卒業後、奈良トヨタ自動車(現:奈良トヨタ株式会社)に入社。取締役、常務取締役、副社長を経て、1992年同社代表取締役社長に就任。奈良県経済倶楽部会長、奈良商工会議所副会頭ほか多数の公職を務める。2007年には県最年少で奈良県公安委員長に就任。また薪御能保存会会長、県内各社寺の役員などを務める。2019年藍綬褒章受章 |
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中島 たかし(なかしまたかし) |
1982年兵庫県淡路島生まれ。静岡県三島市育ち。日本大学生物資源科学部卒業。広告制作会社にて写真を学ぶ。2008年よりアラスカ大学に留学し野生動物の撮影を開始。2016年に奈良県レクサス奈良八条店にて初個展『命の環』を開催。著書に『A Round Melody ~アラスカに見る命のつながり~』がある。 現在、アラスカに生息する島オオカミの撮影に没頭しており、帰国の際には吉野の森を見つめている。この活動をつづけながら、日本にかつて生きた縄文オオカミの面影を追う。 |
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