歌枕直美 友の会

うたまくら草子
歌枕直美の心から語りたい
vol.89 松尾法道

 
 
日本最古の唐寺で黄檗宗発祥の地である長崎・興福寺のご住職である松尾法道師にお話を伺いました。
 
 

黄檗宗
 
歌枕直美(以下、歌枕):大変ご無沙汰しております。今回、このようにお会いでき、とても嬉しく思います。
 
松尾法道(以下、松尾):こちらこそ、ご無沙汰しておりました。久しぶりにお会いした気がしないですね。
 
歌枕:ありがとうございます。興福寺には2000年の「みやびうたコンサート」、2001年の「カエリー リリース記念コンサート」でお世話になってから、約25年ぶりに訪れさせていただきました。
 
松尾:あの時の歌枕さんのコンサートを今でも「とても良かった、印象的だった」と、当時お越しくださった檀家さんがいまだにおっしゃってくださっています。
 
歌枕:とても嬉しいです。昨年、興福寺のご本山である萬福寺で公演させていただきました。改めて、黄檗宗のあり方がこれまで知っている日本の仏教とは違うと感じました。
 
松尾:黄檗宗は江戸時代のはじめに隠元禅師が開祖した宗派ですが、お経は音楽のような太鼓や鐘などの鳴り物を使います。
 
歌枕:まるで歌っているような印象があります。
 
松尾:お堂は説法が響くように天上が高く、床は石畳になっています。
 
歌枕:昨年、萬福寺の法堂で公演をさせていただいた際に、その響きを体感いたしました。興福寺と萬福寺は同じ宗派でも違いのようなものはあるのでしょうか。
 
松尾:長崎の唐寺は媽祖信仰があります。媽祖は航海の神様で、中国から日本へ航海する際に船に乗せて、日本に着くと唐寺に預けます。
 
歌枕:長崎の唐寺と、中国との密接な関係を感じます。
 
松尾:境内に五色の吹き流しがかかっていますが、これは中国から船が来る時の合図で、長崎だけの文化です。
 
歌枕:中国との繋がりを感じます。この数年で黄檗宗と中国の関係を多く知ることができました。
 
松尾:ちょうど14年前に九州国立博物館で、黄檗展を2カ月間開催させていただきました。開幕が東日本大震災の3日後で、当時の館長さんは中止した方がよいと考えていたのですが、ちょうど中国での国際会議に参加しており、海外の博物館の館長さんが「こういう時こそ人心が不安になるからやりなさい。人の心を和ませることができるのは芸術、文化なのですよ。」とおっしゃってくださいました。
 
歌枕:素晴らしいお言葉です。
 
松尾:しかし、私はこの展覧会の実行委員長でしたので、毎日来館者人数を聞いておりましたので、大変なことではありました。
 
歌枕:観光客が少なかったということでしょうか。
 
松尾:太宰府天満宮の参道の人通りがゼロになるという、歴史始まって以来のことが起こりました。
 
歌枕:そのような大変なことになっていたのですね。
 
松尾:この展覧会では本山より隠元禅師の像を運び入れ、毎日、近隣の若い僧侶の方がお参りに行ってくれました。私も週に4~5日は足を運びました。
 
歌枕:展覧会を開くのは、非常に大きな労力がかかったと思います。
 
松尾:このように博物館に持ち込むことで、博物館で再度、宝物を調べ直してくれ、また掛け軸に虫食いがある時は修復してくれ、お釈迦様の金箔が少しはがれている際は抑えてくれるなどのちょっとした応急処置的な修復をしてくれます。
 
歌枕:ただ博物館で陳列するだけでなく、宝物を守っていくことにも繋がっていくのですね。
 
松尾:継承をしながら、黄檗宗は世界を繋いでいくのだと感じます。
 
 
人生の経験
 
歌枕:お寺を継ぐことには抵抗はありませんでしたでしょうか。
 
松尾:両親は好きなことをさせてくれ、声楽の道に進もうと聴音やコールユーブンゲンなどの音楽の専門的なことを学びました。
 
歌枕:音楽の道を志され、そこからどのようなことがきっかけで住職を継がれたのですか。
 
松尾:20歳の時に先代が亡くなり、寺に戻ってきてすぐの24歳の時に跡を継ぎました。
 
歌枕:とても若くして継がれたのですね。女子高校の先生もされていたとお聞きしたのですが、いかがでしたでしょうか。
 
松尾:社会科の教員ですので、地学、倫理社会、世界史などの教員資格を持っており、特に地学が得意だったのですが、倫理社会の担当になり、そこから猛勉強して教えていました。
 
歌枕:高校の先生はいかがでしたでしょうか。
 
松尾:寺のこともあったため、非常勤として勤めていましたが、1クラス62名の12クラスのうち、10クラスを担当していました。
 
歌枕:お忙しくはありませんでしたか。
 
松尾:午前中はぶっ通しで授業し、午後からは寺に帰って、寺の仕事をしていたのでそれは大変でした。
 
歌枕:しかし、学生さんからは親しまれたのではないでしょうか。
 
松尾:非常勤だったため、担任をもっていませんでしたが、誕生日になるとプレゼントをたくさんもらい、いまだに誕生日になると電話をくれる子もいます。
 
歌枕:人気の先生だったのですね。
 
松尾:女子高生との話題作りのために、当時のアイドルを知りや漫画も読んだりしました。
 
歌枕:楽しい経験をされたのですね。
 
松尾:あとは今から約20年ほど前に、事故で怪我をして、頚椎を痛めてしまったことも人生の節目になりました。
 
歌枕:そんな大きな事故があったとは、存じ上げませんでした。
 
松尾:救急病院に運ばれ、首から下が動かない状態でしたが、口は元気でした(笑)。
 
歌枕:神妙な雰囲気を打ち消されていたのですね(笑)。
 
松尾:闘病中は1つ問題をクリアすると、また新たな問題が見えてくる。それの繰り返しで、体が動かないところから1つずつ乗り越えていきました。
 
歌枕:とても分かります。私も病気で倒れた際、当たり前だったことができなくなり、どうやったらできるようになるかを考えて、1つずつ問題を乗り越えてきました。
 
松尾:今も右側は緊張などすると動きにくいということはありますが、日常は大きな不自由なく生活できるようになりました。
 
歌枕:本当によかったです。
 
松尾:寺を早くに継いだこと、教師をしたこと、事故を経験したこと全ての経験で今の自分があるのだと思います。
 
長崎の文化
 
歌枕:長崎の街へ久々に訪れましたが、本当に中国との繋がりが深く、また物事の視点が日本国内だけなく海外に向いていると感じました。
 
松尾:長崎には「おくんち」というお祭りが毎年10月7日から3日間開催されます。長崎の氏神様である諏訪神社の秋季大祭で、長崎の町を挙げて催されます。
 
歌枕:どのようなお祭りなのでしょうか。
 
松尾:奉納踊があり、また庭見せというものがあります。これは窓や扉、襖なども取り外し、表通りから家の中が見えるようにして、奉納で身に着ける衣装や道具、御花などのお祝いを品を飾るのですが、実はこの家の中を見せるというのは、キリシタンではないことを示したとも言われています。
 
歌枕:とても象徴的ですね。
 
松尾:奉納踊があり、また庭見せというものがあります。これは窓や扉、襖なども取り外し、表通りから家の中が見えるようにして、奉納で身に着ける衣装や道具、御花などのお祝いを品を飾るのですが、実はこの家の中を見せるというのは、キリシタンではないことを示したとも言われています。
 
歌枕:興味深いですね。
 
松尾:キリシタンと幕府が衝突したことでも有名な島原の乱では、一説によると島原の人は誰も生き残りがおらず、四国からの移民が今の島原の方のルーツではないかともいわれています。
 
歌枕:普通で知ることのない裏の日本の歴史ですね。
 
松尾:このようにキリシタン、オランダとも繋がりがありますが、やはり長崎は中国との繋がりが深く、中国の代わりの土地と言っても過言ではありません。
 
歌枕:街並みからも感じられます。
 
松尾:5月には今年も本山の萬福寺で公演をされるのですね。
 
歌枕:今年も昨年の10月に国宝指定された法堂で公演をさせていただきます。
 
松尾:唐寺のお堂は声がよく響き、ホールの代わりにもなります。またお寺というのは人々が集い、エンターテイメントの発信地でもあります。
 
歌枕:音楽だけでなく、美術的な面でも非常に感じます。
 
松尾:長崎はコンサートホールがなく、生の音楽を聴く機会がありませんので、ぜひまた歌枕さんの歌声を長崎の皆様にお届けいただけたら嬉しいです。
 
歌枕:今年10月には「美し いにしえの里めぐり」で、興福寺でコンサートをさせていただけることになり、お世話になります。
 
松尾:私も楽しみにしております。
 
歌枕:今後とも宜しくお願い致します。本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
 
 

松尾 法道(まつおほうどう)

1950年、長崎市・興福寺の庫裡で生まれる。16歳のとき、アメリカ・ルイジアナ州のアレキサンドリアにあるボルトン高校へ留学し、アレキサンドリア市名誉市民となる。海外生活の体験を経て、日本の美しい文化にあらためて目覚める。花園大学文学部仏教学科卒業後、黄檗宗大本山萬福寺修行道場に入堂。25歳にして、東明山興福寺第32代住職に就任。住職のかたわら、長崎女子商業高等学校非常勤講師、玉木女子短期大学非常勤講師を20年近く務める。現在、長崎市仏教連合会会長、日本礼道小笠原流長崎県支部会長。